”hoffinger nonett” Radu Malfatti

omay_yad2007-05-01

タイトル:"hoffinger nonett"
アーティスト:Radu Malfatti
レーベル/番号:b-boim records/006
制作情報:CDR・2007年・オーストリー

私たちは音楽を受容する時感覚に依存し過ぎてきたのかもしれない。ラドゥの最近の一連の作品を聴く時痛いほどそのことを意識させられる。自己投影のできない音楽。それは聴く価値がないものだろうか。自己投影も度合いによるが少なくとも、美術の分野のミニマル・アートやコンセプチュアル・アートの作品には周到に観者の自己投影手続きを排除したものが少なくないし、それ自体は遥か昔から公に評価されている。しかし音楽の場合は異なり、極端に言えば快楽主義に走る傾向が強いと言わざるを得ないだろう。今や4'33"ですらリスナーは自らの趣向を聴くだろう。音楽は所詮慰みものなのだろうか。否。時間における構造を扱う芸術のひとつである筈である。しかし、音楽はこれからも延々と感覚を楽しませることに奉仕し続けるだろう。ただ、私たちは悟らなければならない。聴いて判る音楽は既に頭の中にあるのだ、ということを。
ラドゥの音楽は自己の外側にある。自己投影するものはここにはない。いや、自己投影させる手続きが丁寧に抜き取られている。それでは何があるのか、とあなたは問うだろう。何かがあるというのも幻想である。ここではその事自体を受け止めることが賢明である。自ら取りつく島の無い時間の構造。これを受け止めることで充分ではないだろうか。ここにすがすがしく広がる荒野を私たちは見るだろう。

この作品はサイン波の合成によるエレクトロニック版の九重奏である。構造は以前取り上げた「Tokyo Sextet」と似たピッチが徐々にシフトしていくものである。ラドゥは今年になってb-boim recordsという自身の作品をCDRで販売するレーベルを始めた。プレス数を見ると24枚やら6枚限定と極端に少ないが、これは一回の量産表記ではないだろうか。恐らく受注できるだろう。国内ではヒバリ・ミュージックがディストリビュートしている。未確認だが既に十数種のエレクトロニック版の作品がリリースされているようである。数枚聴いただけだが、どれも素晴らしい内容である。