Mattin 宇波拓 「死霊のコンピューター」

omay_yad2005-09-13

■2人の演奏家がラップトップを使用している。しかしこの作品は、昨今のデジタル音響加工とは明らかに異なる意図で作られている。両氏の演奏を聞かれたことがある方なら想像できると思うが、このCDは音数が少ない。音の聞こえない箇所は「静寂」や「沈黙」というようなロマンチックなものではなく単なる「空白」と表現した方が正しいだろう。そこに何かが揺れる音、摩るような音、微かな環境音が表れては消える。Mattinはラップトップの内蔵マイクとスピーカーでフィードバックを起こしたり、CPUクーラーのファンの音を増幅したりラップトップ本体を物体で擦る等して演奏しているという。宇波はラップトップに繋いだ小型スピーカーに物体を置く等して音声データを加工しているという。所謂ラップトップ奏者はこのような方法は絶対にしない。この音楽には今のところ最適な形容詞がない。即興演奏だろうか?作曲だろうか?あるいは物音?そのどちらにも属さない不思議な響きがある。生々しいのに楽音としての存在感が希薄だ。この希薄さはラップトップゆえのものだろうか? しかしそこには音楽に対する私たちの暗黙の姿勢を保留する「何か」がある。リスナーが音楽に期待するものと、作曲家の意識の相違というような月並みなものではない。音楽を共有する時間あるいは意識に大きく関わる「何か」である。しかし演奏者の息遣いは聞こえない。その正体を確かめたくて、恐々ついまた聞いてしまう。タイトル通りの音楽?
このCDのタイトルやジャケットのイラストに疑問を持つ方もいるだろう。ユーモアの解説ほど無粋なものはないが、もしこの作品が「Music for computers and…..」というような現代音楽にありがちな題名で、抽象的なドローイングのジャケットだったらどうだろう。聴く側は既成の概念で音楽に対応してしまうかもしれない。そこで失われるものは大きい。
Hibarimusic h.m.o/r 01 2004■