宇波拓 “狐独”

omay_yad2005-10-10

■本人の弁によるとこの作品は賛否両論にくっきり分かれるという。宇波拓は国内外の様々な演奏家と共演しながらヒバリ・ミュージックという自身のレーベルを運営している。これは彼の初作曲集である。その演奏家たちは以下の11名。
秋山徹次(アコースティック・ギター)、江崎将(トランペット)、植村昌弘(スネアドラム)、大蔵雅彦(アルトサックス)、大谷能生(アルトサックス)、木下和重(ヴァイオリン)、古池寿浩(トロンボーン)、杉本拓(アコースティック・ギター)、戸塚泰雄(リズムマシン)、直嶋岳史(ミキサー)、中村としまる(ノーインプット・ミキシングボード) 
31分半と19分半の2つの楽曲は空白に単音の点在する音楽である。それだけでなく、このCDは非常に音が小さく編集されている。したがって11人で演奏しているようには思えないほどに音圧が低い。CDデッキのインジケーターを見るとゲインは‐20から‐30dBくらいである。空白部分はまったく音声信号が無い。そのため音像が遠く感じられ、はかない印象を受けるが同時に逆説的な存在感が立ち上がってくる。賛否が分かれるのは、この逆説的な存在感を受け止めるまで辿り着けないからかも知れない。それには特殊な聴覚訓練の必要はない。ただこの2曲をじっくり集中して聴く時間さえあればいいのである。最後には気になる何かが残る。それは何だろうか。これは作曲作品である。とりあえず言い得る事は、このCDには情報量の少なさに反比例する存在感が聞き取れるということだ。これだけは間違いない。ここに感覚的なものを求めても何も帰ってこない。また音響的な興味も見事にはぐらかされるだろう。この音楽に向き合うことは、例えばどこか川原で小石を拾ったとする。それを自分の部屋に持ち帰ってじっと見つめることに近いのかもしれない。存在に対して何を語ればいいのだろうか。いくつも形容詞が浮かぶ。それらが消えた果てには何があるのか。それとも何も無いのだろうか。淡々とした、無垢な、そこに佇むもの。楽曲が佇んでいること、それこそがすべてかもしれない。私たちはそれに向き合うこと。
無垢な状態で、淡々と。
Slubmusic SMCD08■