Henri Chopin “les neuf saintes-phonies”

omay_yad2005-10-20

■仏のアンリ・ショパンは声によるテープ音楽のアーティストである。そして図形譜のようなテキストをしばしば制作する。独のカールフリードリッヒ・クラウス同様に声のフェティシズムとも言うべき録音作品を制作するが、クラウスと異なるのはその構築性を重視している点である。彼のテキストは特定の言葉のレタリングを反復、縮小、拡大あるいは解体して画像を作るものが多い。透明シートにその図像を印刷し、動かすたびに異なる重なり合いを表す作品もある。それらはグラフィックとして美しく音との関連も興味深い。彼の声の作品は、クルト・シュビッタースやフーゴ・バル等のダダに端を発する音声詩の系列に属すると同時に、声の音響特性に着目したその緻密な録音作業によってミュージック・コンクレートの脈絡にも属している。テープのリール・トゥ・リール録音によるフィードバックを効果的に使い、発声の際に表れる音響を巧みに強調している。音だけ聴けばまるで電子音楽のようである。これは彼の母国語フランス語による影響だろう。フランス語の発音には相当な数のヴァリエーションがある。破裂音、鼻音、摩擦音にも数種類ずつ存在し、きわめて音響的な言語であると言えよう。それらを多重録音して奇妙な音響を作る。スティーヴ・ライヒの「Come out」は単語レベルで反復するが彼の場合、音素レベルでの反復や多重化が行われる。そこに彼のグラフィック・テキストの構築性と同質のものを見ることができる。私たちが言葉を交わすときコミュニケーションによって培われた自然な流れがある。会話の文脈と同時に個々の言葉単位にも小さな流れがある。特定の音素を強調すると、途端にその言葉は聞き取れなくなる。日本語の場合ひとつの文字がひとつの発音に対応しているが、アルファベットでは前後にどの文字が来るかによって発音は大きく変化する。文字が音に変わり音の断片が集まれば言葉になる。言葉には意味があり、それぞれ固有の脈絡がある。その言葉を切り離してしまえば脈絡は消え、無意味な断片となる。断片が別の仕方で繋がり読み取り可能な言葉になればそこに新たな脈絡が現れる。このダイナミズムは言葉の機能によって現れる。なぜなら言葉は私たちが属する社会のツールだからだ。言葉の解体をコミュニケーションに持ち込めば、ただちにそれ自体を崩壊させ狂人と見做されてしまうだろう。彼の緻密な構築性は音声として言葉を純化しており、その意味から見ると詩人の活動に近い部分がある。藝術行為の内部とはいえ、彼のように声を言葉と音の狭間で検証することは文化的に見て窮めて特殊な作業であると言えよう。まるで紙幣を裁断し編み物を作っているかのようである。
(c) 1994 Staalplaat  Korm Plastics STCD 070/KP 4694■