Charlemagne Palestine “Music for big ears”

omay_yad2005-10-29

シャルルマーニュ・パレスティンの代表作は仏シャンダールからリリースされた”Strumming Music”である。ベーゼンドルファーの残響ペダルを踏みっぱなしにして延々と鍵盤を弾き忘我的な響きを紡ぎ出すその演奏はミニマル・ミュージックの持つ快楽的な音響面を最大限に抽き出した名作といえる。彼の場合、手法はミニマルだが結果はミニマムではない。西洋古典のそれとは異なるが響きの、ここでは倍音オーケストレーションを追求している。ピアノの場合、残響ペダルが踏まれていると鍵盤を叩く力が自然と他の弦にもその振動が伝わり複雑な音響となる。倍音の重奏は彼のピアノ曲で充分堪能できるが、カリヨン(鐘楼)の場合は少し様子が異なる。このCDに収められた楽曲は基本的構造はピアノのものと同じである。鐘楼はベルリンのベンツ社のものを使用しジェフリー・ボシンという演奏家の助けを得て2人で、つまり4本の手と足で演奏されている。カリヨンはちょうど鍵盤のように木のペダルが付いていて、それが糸で一つ一つの鐘の振り子に繋がっている。これによって教会は典礼の際に簡単なメロディーを奏でることができる。収録された演奏では、叩き始めは鐘一個一個の音の輪郭が聞き取れるが、徐々に鐘の音は倍音の束に埋もれ幾重もの揺らぎの渦となる。それぞれの倍音成分によってその揺らぎの周期が異なり興味深い音響となる。鐘は直接振り子で叩かれるので、その振動が他の鐘に伝わることはない。したがって倍音の束は、大きな箱に弦が収められているピアノの場合より分離され、比較的聞き取りやすい。叩いていくうちに鐘自体が励起されその固有振動が徐々に大きくなっていくようだ。トラックの途中辺りから打撃音自体は聞こえにくくなっていく。それはまるで個々の鐘の音が重なり合って輪郭から溢れ溶け出していく過程を聴かされているようだ。パレスティンはこのような状態になることを好んでいる。個々の音がある大きな周期に繋がり混ざっていくこと。ひとつの音が全体に融合し、全体からひとつの音の意義が見つめ直される。彼にとって持続しない単音は孤独の恐怖なのかもしれない。実際”Strumming Music”のリイシューCDに掲載されている演奏中の画像は、ベーゼンドルファーの譜面台にたくさんのお気に入りの動物の縫いぐるみが置かれている。大きな箱に納まったたくさんのピアノの弦もまた同様に孤独を癒すのか…。このユダヤアメリカ人の作曲家の個人的な趣向は別としても、カリヨンという楽器の性質を明解に抽き出している楽曲は注目すべき点である。
Staalplaat Std 156 2001■