Alvin Lucier “Still and Moving Lines of Silence...”

omay_yad2005-11-07

"Still and Moving Lines of Silence in Families of Hyperbolas,Part 2"
■アルヴィン・ルシエの作曲活動は音響学的な側面を強調している。この作品は楽音とサイン波を併置することで起こる変化を用いた楽曲である。「Crossing」という楽曲では管楽器等の持続音が使用されたが、ここではパーカションが選ばれている。パーカッションは叩かれた後、減衰する瞬間に倍音成分が僅かな時間差を持って聞き取れる。そこにサイン波が干渉し微妙なうなりの変化が現れる。うなりは英語ではbeatという。近似のピッチの2つの音が混ざると、視覚で言うところのモワレのようなものになり、音が揺らぎリズムのように感じられる。これを「ビート」と呼ぶのは相応しい。そしてこれはヒトの聴覚の仕組みと関係がある。音をキャッチする鼓膜にはその薄い膜としての物性がある。それはちょうど水を張った池に例えられるだろう。小さい石を投げ込むと波紋が起こる。同時にもうひとつ石を投げ込むと波紋が重なったパターンが表れる。うなりとはこのような音の状態である。膜の上に生じる波の運動は重ね合わせられる。波同士はそこで重なり合い、小さな波は大きな波に飲まれる。大きな音がすると小さな音がマスキングされるのはこのような薄い膜の物性による。もし私たちの聴覚がまったく別の構造をしていたら、うなりは生じないかもしれない。レーザー光線のようなものを対象に放射して、その正反射を聞くような聴覚だったら2つの近似値の音は明解にその差異が聴こえるはずである。私たちに聞こえる音には、私たちの身体的構造が反映される。また私たちの意識の向け方で音の聴こえ方も変わる。雑踏の中でも興味のある小さい音に志向性を向けて聞き取ることができる。私たちの知覚はこの2つの操作を利用して混濁した音に対応している。1曲目は一定のピッチのサイン波にゆっくりとマリンバが打ち鳴らされる。2つの音は鼓膜で(録音時にすでに電気信号化されている)重ね合わされ、ゆらゆらと左右に揺れる。この揺れは倍音の微差とリスナーの耳の位置の位相差によるものだろう。注意すると減衰する直前にマリンバのピッチが上昇するように聴こえる。これはマリンバの単音がサイン波より低いためだろうか、あるいはマリンバの単音に注目しているから、減衰して消えていく音がサイン波の方に引っ張られるように志向性が移動するからだろうか。一切、倍音成分のないサイン波のような音は自然界には存在しない。物質を介在させた楽音には必ず倍音がある。ここで聴かれるうなりは電気信号と物質という対比として考えても興味深いものがある。
(c)1984 Lovely Music (p)1984 Alvin Lucier VR 11016 Stereo■