S.Y.P.H. “Pst”

omay_yad2005-11-22

ドイツのニューウェイヴ・バンドのデビューアルバムである。CANのホルガー・チューカイがプロデュースと演奏で参加しているせいか、CANとTalking Headsを混ぜ合わせたようなサウンドである。
驚くべきはこのレコード・ジャケットである。
現代ドイツのコンセプチャル絵画の巨匠Imi Knoebelイミ・クネーベルが手がけているのである。
彼はヨーゼフ・ボイスパレルモジグマー・ポルケ達と共に師事し、ミニマル・ペインティングに接近しつつもそれとは異なる絵画構造や空間意識を持ち、また非常なセンスを持つ多作な作家である。
このジャケットに使用された作品はガラスの両面からブラシのストロークを生々しくぶつけた連作シリーズのひとつである。それがそのまま使われているのならまだしも、そこには彼自身の手でバンド名とアルバムタイトルまで書かれているのである。また裏ジャケももう1枚別の絵画であり、全く贅沢としかいいようがない。
絵画空間は物理的に考えれば絵の具が薄く盛り上がった平らな物体であるが、有史以前から私たちの文化には絵画や図像が深く根ざしているため、絵画の画面は単なる物質ではなく独特な空間性を有したものとして流通している。絵画がどのように成り立っているか、という問題は20世紀初頭以降抽象画家たちが追求してきた。クネーベルはアメリカのミニマル作家、例えばフランク・ステラやケネス・ノーランドのような即物性のみに収斂されない方向性を探った。35mmスライドに直に絵の具を塗りつけ空間に投射した作品や、様々な素材や立体にペイントしたものを組み合わせたりすることで絵画を成立させる「空間」と「画面」の意識的な関わりを重んじた制作に向かった。同じくドイツの巨匠ゲルハルト・リヒター比較すると、リヒターは絵画の視覚性へのこだわりが制作を支えているが、クネーベルは絵画空間を表現形式の問題として捉えず、描画行為や鑑賞行為までのすべてを含んだ「場」のような総合的な空間を追及した。カラフルに塗られた平面を裏返しに壁に展示した作品(観者は板の裏側しか見れない)や、組み合わせが自在なユニットによって成立する作品等から彼の意識が窺い知れる。このジャケットの板ガラスの連作も絵の具は両面から塗られており、素材の特性(透明、表面の写りこみ)を用いてそれが置かれた空間を取り込んでいる。
また、彼のプライマリー・ストラクチャーさながら平滑に塗られたミニマル平面に近づいて見るとまるで一筆書きされたかのような曲線による均一で美しい刷毛目を見ることができる。画面の側面(キャンバスの厚み部分)にすら一滴も無駄な絵の具が付いておらず、完璧なペインティングが施されている。その集中力には恐ろしいものがあることが想像できる。
何よりも彼の緻密な計算によって裏づけされた直感の鋭さには比類ないものを感じさせる。
このレコード・ジャケットを手にとって見れば誰しも彼の持つ鋭いセンスに気づくはずである。
激しいブラシ・ストロークに重なるアルファベットの筆致はひたすら美しい。

何故彼がこの名も無いバンドのジャケットを制作したのだろうか。
レコード盤を収める内袋の一番下の部分にはCarmen Knoebelという人物がこのバンドのコンタクトになっている。
恐らく彼女がクネーベルとなんらかの血縁関係にあるのだろう。
想像をたくましくすると、もしかしたらクネーベル自身このサウンドが嫌いではないのかもしれない。

Pure Freude
PF06CK3
Produziert von Holger Czukay und S.Y.P.H.