King Crimson “Larks’Tongues in Aspic”

omay_yad2005-11-24

このレコードはアルゼンチンの70年代プレスである。画像でお分かりのようにジャケット外周はコーティングでありながら茶色く紙焼けしている。音の解像度と音圧は低い。手荒に扱われたようで傷も多い。
しかし少々面白いことにこのレコードのB面途中の「トーキング・ドラム」の静かな疾走パートでは盤自体の傷がその演奏リズムに見事にシンクロする箇所がある。もちろんたまたま手に入れたこの盤についた傷で偶然の産物である。エラーでもプレスミスでもない。
しかしここから踏み込んで考えると、このような一種のハプニングによる音の付加も音楽の要素のひとつと考えることもできよう。塩化ビニール盤自体がサーフェイス・ノイズや傷が全く無い状態はありえない。耐久性から考えてそれは不可能である。つまりレコードは傷音が付加される可能性に開かれた素材であり、そのレコード盤でしか体験できないのであれば、盤の傷も音楽の要素に成り得る。レコードの音溝を版画の原板に例える。そこに何らかの事故で付いた傷があればその傷は「絵画」の一部と見做されるてしまうように、レコード盤とその音楽をきっぱりと分離することは難しい。単純にコンテンツとして割り切れない物質性が音楽と同居している。リスナーにとって録音された音楽は再生される物体自体が存在の本質なのだ。
盤の傷は使用するカートリッジによっても表情を変える。傷音自体を楽しむこともできるし、傷音とその背後(あるいは前方)に聞こえる音楽を対比させて楽しむこともできるだろう。
更に踏み込んでいくと、その音楽はプレスされた数だけ存在し、同じ盤でも時間経過によって(傷の付き方によって)変わっていく、と考えることもできる。音楽の共有性を犯す危険な考え方ではあるが…
レコードの傷から音楽と物体とリスナーの間の亀裂を見ることができる。

Atlantic Records
No 50-14.116
Mh-14.116/1 comar
(p) 1974 Disco es cultura es un producto Argentino
Producido y distribuide en Argentina por Discos MUSIC-HALL