Radu Malfatti ”Tokyo Sextet”

omay_yad2006-12-28

タイトル:Tokyo Sextet(2005)
アーティスト:Radu Malfatti
レーベル:slubmusic
シリアル:SMCD 09
制作情報:CD/2006年/日本

「ラドゥ・マルファッティが2005年来日した際に用意してきた、エレクトリック・ギター、バス・クラリネット、ヴァイオリン、トロンボーン、エレクトロニクス(サインウェイヴ)x 2 のための作曲作品「Tokyo Sextet」を、宇波拓が全パートをサインウェイヴに置き換えて作り上げたもの。各パートは一定のピッチを持つが、楽章ごとにひとつのパートのピッチを一回だけ変えている」(Improvised Music From Japan CD shop解説から抜粋)
解説を読んでもこの作品を理解したことにはならない。無音の中で余韻の無い、低い霧笛が、間欠的に鳴るような印象である。しかしこの感想も本質を表現してはいない。これは「存在する音楽」と表現すべきだろうか、楽曲の佇まいそのものが音楽になっている。この作品はどんな環境や条件で再生されたとしても全く揺らぐことがない。 音の表情を聴くものではないので、特に集中する必要もないだろう。変な話だが、部屋で鳴らしてどこかにいっても構わないのかもしれない。自立した、そのものが在る音楽である。このことは抽象的な意味であり、サティの「家具の音楽」や「ヴェクサシオン」とも異なる文脈である。当然の如くBGMとして流すこともできない。美術に精通するものなら、60年代のカール・アンドレやリチャード・セラのミニマル彫刻作品と概念的に大差がないと考えるかもしれない。しかしここには、時間の流れによって作品フォーマット(音楽)が成り立っている。これはミニマル彫刻と異なる大きな要素である。
これはまさしく新しい音楽である。いや、新しい姿の音楽である。これに関しては誰もが的確な形容をできないだろう。あらゆる表現世界で多種多様な手法が混在し、斬新な形式も瞬時に了解される中、新しい姿を打ち立てることは容易なことではない。まずはあなた自身がその姿と向き合ってみるべきだ。