”Tengu et Kitsune” Taku Sugimoto/Taku Unami

omay_yad2006-12-30

タイトル:天狗と狐 guitar duo
アーティスト:杉本拓・宇波拓
レーベル:slubmusic
シリアル:SMCD 10
制作情報:CD/2006年/日本
recorded at LoopLine,Tokyo May 12,2006

これは即興演奏の実況録音である。2人のギタリストの無為な会話のようであり、同時に個々の思索が伝わってくるような好盤と言えよう。即興演奏にありがちな丁々発止の刺激反応はここには一切無い。むしろ周到に作曲されている様ですらある。回りくどい説明になるが、ここでアクション・ペインティングのジャクソン・ポロックを例に挙げたい。彼は絵画の空間性を追及した結果、画面を床に置きその真ん中に立ち、エナメル・ペイントを筆に取り画布の上に垂らした。床からの高さの違いによってペイントの流れた形は変わる。アクションが絵画空間に時間の軌跡を残す。画布の大きさによってそのペイントのストロークのあり方が変わる。その結果出来あがった絵画は絵の具の暴発のように見える。これに「アクション・ペインティング」という言葉が付けられると、ポロックの空間に対する思索は失われ、絵の具の盛り上がりだけが取りざたされるようになってしまった。この傾向は我国で特に激しく「アクション」という言葉がまるで劇映画のニュアンスとなってしまった。即興演奏に関しても似たことが起きてしまったようだ。即興演奏の醍醐味は既成の音楽モードを一旦無しとして、演奏家同士が瞬時にどのように関係を作り上げていくかを公開することではなかっただろうか。ところが「即興演奏」という言葉が定着し半ばジャンル化すると、安易に誤読されてしまう例も少なくない。相手の音に反応していることで演奏家は安心し暗黙のパターン化された展開に終始するだけで、演奏と音の関係は空洞化する。即興であってもそこには何らかの(瞬間的な?)構造があるはずだ。組み合わせや手法を変えても根本は変わらない。この2人はそのことに批判的だ。即興演奏を封印したかのように見えたが、ここで再びこのような形を取ったとこは充分に注目すべきだろう。根本に立ち戻れば創造的な広がりはまだまだ充分に見出せるのだ。
杉本の余韻を抑えたタッチは集合と離散をイメージさせ、宇波は倍音成分を持たせたピッキングのバリエーションを展開する。先に書いた2人の自覚が空間と時間の広がりを音楽に変えている。