音盤随想<時間のフレーム>

omay_yad2007-01-23

手元に2つ、全く関連の無いアルバムがある。両者の音楽の姿を時間と評価という視点から見てみたい。
■「東シリア教会エジプト・カルデア主教の典礼歌」ネストリウス・カルデア教会司教ベデ(歌、朗読)1977年1月7日現地録音 (世界宗教音楽ライブラリー SevenSeas キング・レコード)

■Cisfinitum 「Bezdna」(Monochrome Vision mv02 Russia 2005)

「シリア地方の古代の豊富な文献が示すように、東方においては長いあいだ、〈霊感を受けた〉説教が教化的であると同時に叙情的な形式で発達した。そこにキリスト教の聖歌の一つの起源、それも恐らく主要な起源を見るべきであろう。・・・略・・・ユダヤ教会堂で歌われるピュトからエフラエム(306〜73頃)の聖歌やビザンツ聖歌隊の歌に至る連続性は驚くべきものがある。」【教父と東方の霊性・ルイ・ブイエ著】
このアルバムは恐らく最古のキリスト教音楽である。ネストリウス派はエフラエム歿後の431年にエフェソス公会議にて異端とされ、ササン朝ペルシアの領土に退き、中央アジアから中国まで活動範囲を広げた。中国で景教と呼ばれたキリスト教の一派である。「カルデア」とはバビロニアのことである。古い歴史を背負っていることがその名前から伺い知れる。
エフラエムは初期キリスト教修道生活者のひとりヤコボスに師事した。ヤコボスに限らず殉教の覚悟を持った当時の熱心なキリスト者は絵画の題材にしばしば使われた「聖アントニオの誘惑」のアントニオス(251-356歿)の影響を受け、修道生活を砂漠や山で行っていた。エフラエムはその伝説的な最古の修道生活者と同時代に生きた人間である。晩年、エフラエムは山を降りエデッサにキリスト教学校を設立した。このアルバムに収められた歌はそこでの司祭職時代のものかもしれない。この歌の旋律は口承によって後世に伝えられたものだろう。口承伝達は一見不完全極まりない方法と思われがちだが、記録が不充分であった時代のものはかなり信頼できるものである。吟遊詩人であったグルジェフの父がギルガメッシュの抒情詩を正確に暗記していたのと同じように、歴史や宗教に関するものは長大であっても正確を極める。変形される場合は大抵、政治的な事情による場合がほとんどである。幸い東方教会は伝統を重んじる。まるで教会堂が建立された時から絶やされることのない祭壇の火を見るが如く、私たちはこの録音で4世紀当時のエフラエムが歌ったものをそのまま聴くことができるのだ。この歌は今後も変わらず、これからも歌い継がれていくだろう。その音楽の姿はいつ暫定的に記録をしても、歌い手こそ変われ、ずっと4世紀の姿のままである。なぜならそれは典礼であり、音楽的解釈によってその姿に変動が与えられることは在り得ないからである。エフラエムの音楽の存在は時間のフレームから自由である。

Cisfinitum "Bezdna" (Monochrome Vision mv02 Russia 2005)
Monochrome Visionというロシア新興レーベルからの第2弾リリース作品。その出版コンセプトは「大きな文化産業の陰に隠されてしまっていた20世紀の電子音楽の歴史に僅かな貢献を捧げる」というものである。Miguel A. Ruiz、hhtp + portablepalace、Rafael Flores、Kinetix、Maurizio Bianchi、Siegmar Fricke、Lt.Caramel、Das Synthetische Mischgewebe、Frank Rothkamm、If, Bwana、Falx Cerebri、Batchas等、主に実験音楽シーンで10〜20年前に注目されたアーティスト群、音律や旋律に乏しい不定形の電子音が電子エコーのもとで唸りを上げるタイプのものが多い。電子音楽シンセサイザーなどの使用機材によってその音楽を発展させてきた経緯がある。ラップトップ音楽を通過した現在の視点からその音楽の姿を冷静に見ると、音楽の特徴を形作っているものはヴィンテージ・シンセやエコー・マシーンの特有の音色であることが意識される。過去の歴史としながらもこのレーベル場合は古い作品の再発を行うのではなく、未発表音源や新作品のリリースを主眼としている。今日取り上げたCisfinitumは2003〜05年の間に作られた新作である。しかし使用された機材はANSやPolyvoxといったソヴィエト時代のヴィンテージ・シンセサイザー・システムである。このレーベルが語る過去とその評価には流動性が見られる。「過去の歴史」に光を当てることで、新たな評価の可能性に開かれるように仕組まれている。様々な音楽的文脈からの柔軟な解釈に開かれ、暫定的な評価を積極的に取り込みながら音楽の可能性を模索しているのである。クリアーなマスタリング作業によって提示された不定形の音楽はリスナーの受け止め方によってその姿を変える。これらの音楽は時間のフレームの中で自由を得ている。